1. 幸せに方程式はない! 大切なことを大切に生きる支援を仕事にしたい。
    ~今につながる転機の体験「マダガスカル原始生活」編
 

幸せに方程式はない! 大切なことを大切に生きる支援を仕事にしたい。
~今につながる転機の体験「マダガスカル原始生活」編

幸せに方程式はない! 大切なことを大切に生きる支援を仕事にしたい。
~今につながる転機の体験「マダガスカル原始生活」編

転機コンサルタント本間玲子さん
ぼくがこの仕事をするきっかけとなった
転機の出来事インタビューを受けました。


このときの想いは今も核になっている

大事なものだと再確認したので

インタビューを元に大幅加筆して

マダガスカル原始生活前後のことを

改めてつづってみました。

 

要約

時期

2000年12月〜2001年1月、

大学3年が終わって休学中に


一番自分にとって大きかったこと

幸せに方程式はない。

大事にしたいことを明確にして

自分で生き方をデザインするしかない!

と体感した

考え方がどう変わったか

 

トイレも、舗装道路も、鍋も昔はなかった。

何一つ当たり前でなく、あるだけですごい。

逆に言うと、今当たり前に思うことも

どう変わっていくかわからない。

 

誰かの創った常識で苦しまず、

「自分は何が幸せか、大切にしたいか」

で選択していっていい。



今にどうつながったか

常識・慣習に囚われず

「その人にとって」心から幸せと思える

生き方のデザインを支援する仕事がしたい。

と思うようになりコーチングに出会った。


大変だったこと、失ったこと

50℃近い暑さは参ったけど

それ以外不思議なくらい特にない。

現地語を覚えるのすら楽しかった。


あえて言えば、常識に流されず

「何がこの人を幸せにするだろう?」

「これは誰をどう幸せにするだろう?

と問を常に持つようになったので


当たり前とされるけど

実は幸せにつながってないのでは?

ってことがたくさん見えてしまって

組織や社会に疑問を持たず染まるのは

できなくなっちゃいました


方法がわからない願いをどう実現した?

常識から外れても、

小さな、でも消えない心の声に従って

できるところから動いてみた。

怖くて震えながらでも

人に想いを打ち明けていたら

共感してくれる人のツテで

そこからは流れるように実現した。


感謝していること

あのとき関わってくれた全ての人たちに。

押しつぶされそうになってたあのとき、

自分の正直な想い、感覚を拾って

非常識な、でも心に従う道を体験させて

くれたすべてに感謝します。


そして、その恩のバトンをあなたに渡し、

あなたが人生の主人公として、

本当に大切にしたいことを

大切にして生きる道を共にデザインする

ことに自分の命を使っていきたい。

                                

転機前:就職活動が怖い

追い詰められて自分の意思が出てくる

その頃、大学生で就職活動をしていた。

しかし、自分は対人恐怖が強く、

面接に行くこと自体が怖くて

応募すらできなかった。

 明確な共通点のある、サークルなどは別として、

集団の人間関係がうまく行った試しがない。

居場所を感じたことがない。

だから、「会社に行ったら今度は死ぬかも」
と本気で思ってた。

それでも働かないわけにはいかない。
せめて自分を奮い立たせるには、
何がしたいか明確にしてからにしたい。

そのためには実際に組織で働いてみないと

わからないと思い、休学を決めた。


僕は体験が伴うことで初めて

リアリティをもって決断できる。

僕の人生のデザインの仕方の一つを

見つけたのはこの時だったと思う


中高受験のときもそうだったけど、

経験したこともない世界なのに

どうしてみんなあっさり志望を

決められるのか、不思議でしかたなかった。



追い詰められたことではじめて、

周りと違う自分の感覚に許可を出して

完全に自分の意思で行動に移せた転機だ。

 

休学という回り道するなら

ほんとにやりたいことやらなきゃ!

と思いきれた。

 

知りたかったのは人が幸せになる方法

就職というきっかけだったけど、

休学期間から究極得たいのは、

「人が幸せになるにはどう生きたらいいか」

の答えだった。

それを満たす仕事を見つけようと思った。


その答えに近づくために

2つ体験したいことがあった。


一つ目は、海外で働くということ。
二つ目は、自分の知らない価値観を

経験をしたいということ。 
「世界ウルルン滞在記」みたいな体験がしたかった

ニュースや、学生として見聞きする範囲の

乏しい情報と体験ではあまり日本の社会人像に

希望が持てなかった。


電車の中で見る

サラリーマン風の人たちの疲れた顔。

大学で北海道から東京に出たとき

あまりに衝撃的だった。


そして不正を働いてしまう会社幹部の人や、

過労やら自殺やらのニュース。

今思うとニュースは問題や事件中心だから

偏った情報だけど

当時の自分には、働いて輝いてる人って

器用で優秀な、遠い人しかいないイメージだった。


むしろ、大多数の人はお金を追いかけることで

幸せから遠のいているような気がしていた。

 


だからこそ、全く知らない世界の中に

人の幸せがあるのではないか?

という小さな疑問が、かすかに頭にあった。


ほんとにかすかだった。

反論材料の方が多いくらい。

貧しいほうが人として豊かだなんて聞くけど、

じゃあなんで貧乏国だった日本は

こんなにお金を追いかけるようになったの?


貧乏よりはお金持ちにみんななりたいよね。

貧乏な方がいいって軽々しくは言えない。

でも、なにかが引っかかる。

何かあるような気がする。

その感覚を消せなかった



だから、ウルルン滞在記のような暮らしをして

現地の人が、お金に関係なく本当に幸せなのか

何を考えていて、何を幸せに思うのか

直接聞きたかった


そして、本音を聴くためには

一人でいかなければならないだろう

と直感的に思っていた。

 

実現までのプロセス

方法が全くわからない

休学は決めたけど、海外で働くのも

ウルルン滞在記も実現方法がわからない。


今は笑って話せるけど
ネットも使いこなせず、

日本の就活でさえ動けないのに

英語で調べて英語で書類を書いて応募なんて

ハードル高すぎだーーー(笑)



結論としては二つとも今でいう

「引き寄せ」的に思いもかけぬ

出会いで決まった。

 

一つ目の願いは

あまりに困り果ててやけくそで立ち寄った会で

はじめて会った人に思い切って

想いを打ち明けたら、紹介をうけて

アメリカでのインターンシップ

という形で達成できた。


決まるときはなんて簡単な(笑)


それも、組織で仕事してもいいかも、

と思えたとても貴重な体験だったのだけど
詳細はほかの機会に。


二つ目のウルルン滞在記的体験については

なかなか決まらなかった。

それこそ全く方法がわからない。

ネットもほぼ使えてなかったから

大学の掲示板を見て歩いたり、

知り合いに話してみるくらいでは

何も手掛かりがつかめない。

 

時間ばかりが過ぎていく。
休学までしてこれはまずい。。。
ということで一大決心をした。

自分のアドレス帳にある

途上国に詳しそうな人に

直接電話して聴いてみる。

対人恐怖の強い僕にとって

覚えてもらってるかすら怪しい、

接点の薄い人にいきなり電話して

しかも「ウルルン滞在記の実現法」
などというわけのわからないことを説明、

質問しなければならない
これは本当に怖いことだった。

「こ、こんにちは、にいぜきと申します。

以前一度お会いしてるんですが、

お、覚えてますか?


あの、じ、実は、テレビの

ウルルン滞在記みたいなことを

してみたいなって思ってて、

方法や場所に心当たりないかと思って

お電話してみたんですけど」

 

などと、手が震えながら電話してみても、

切るたびに憔悴しきっていた。


数日かけて十件ほどかけたときだろうか。

「これじゃあほんとに心がもたない」
と、この方法を断念した。

心の声を行動に移すと引き寄せが起こる

再び絶望感のなか、虚しく過ぎる時間。。。
そんなとき結婚パーティの招待状が届く。
飲み会などはほとんど出ない僕。
フォーマルで知らない人だらけの場になんて

普段なら出なかっただろう。

(知らない人を集める講座が今は仕事

なんて当時からは信じられない)


でも、新郎は大尊敬する人だった。
そんな人のお祝いだからと、
おびえながらも(笑)会場に向かった。

立食歓談タイムで
案の定

壁の花になっていたとき

ふと、ある人を見かけた。

一度だけ会ったことのある人だ。

 

「たしかあの人は、

協力隊帰りだって言ってたな、、、

ぼくのこと覚えてるだろうか?

もしかして何か手がかりが、、、

でもやっぱり図々しいかな」


とパーティの間中葛藤して

帰りがけにようやく声をかけた。


するとなんと

「驚いたよ、君とおんなじことを

僕は高校時代から思ってて、

だから協力隊に行ったんだよ。

ぜひ全力で応援させてもらうよ」

 

あまりにびっくり。

こんなご縁があるなんて。

その方の尽力で、紹介のさらに紹介で
マダガスカルでNGOのボランティア

としてなら実現可能となったのが、

2000年の初めくらい。


 

引き寄せとかシンクロニシティとは

こういうことを言うのだろう。


全く方法がわからないところから、

それでも心の声に従って、

泣きそうになって立ち止まりつつでも

動き続けたことで


思いも寄らない出会いによって

するすると運ばれるように決まった感じ。

自分の人生に勇気をくれるような体験だった。


これ以降も、大事な転機には同じように

するすると運ばれるような感覚を体験する。

マダガスカル原始生活

怖いモノなしの渡航準備

就活はあんなに怯えてたのに

不思議と、想いが叶うと決まると、

体の芯から強くなる感じで

予防接種が何種類も必要な、

聞いたこともない国に行くのに、

不安は全くなかった。


友達から「あぶないからやめなよ」

と言われても、全然揺らがなかった。


産まれて初めて

心の底から自分で選択した感覚があった。

小さいけど自分の内側から湧いてくる

消えない声に従って、

自分の意思で動くことの力を実感した。


それは2011年ころに

「魂の歓ぶことは必ず世界のためになっている」

という言葉になり、

 

今でも生きる指針となっている。

 

 

マダガスカルに行くための準備が始まった。

一番の難題は言語だった。


フランス語とマダガスカル語の選択肢があるけど、

自分は現地の人の本音をききたいので

マダガスカル語を覚えようと決めたが、

日マダ辞書などないし、英マダ辞書も小冊子程度。

疑問詞やあいさつだけ教えてもらって、

あとは現地で覚える方式(笑)。

 

 

一瞬で友情が芽生える意外な話題

まずは、マダガスカルの首都から

飛行機で1時間ほどの南端の海辺の街に

滞在して、お目当ての村に行くために

心身を慣らし期間を持った。


自然保護NGOの現地調査ボランティア

だったので植物の世話をしながら友達を作って

言葉も覚えていった。


今思うと、信じられないスピードで言葉を覚えた。
英語を話せるレアな現地人を見つけて、

言いたいけどわからない表現を英語で言って

その人にマダガスカル語に訳してもらって

自分の辞書を作った。


少ない知識で豊かな表現ができるよう

手持ちの語彙をフル活用する方法を見つけ

足りない分は全身で会話して補った(笑)


そうして会話ができるようになるにつれ

彼らの自由さに触発され、解放されていった。

気候や収入面はとても過酷なはずなのに、

考え方に制限が少なく、楽しんでいた。

僕も、街でも村でもとても楽しかった。

 


自由な例としては、男も女も下ネタ大好き(笑)

乗合タクシーに乗っていて、自分だけ外人。

じっとこちらを見つめられる。

黙ってるのも心地悪かったのでマダガスカル語で

話しかけたら、


「外人なのにマダガスカル語が話せるのか?」

とびっくりしつついろいろ話しかけてくれる。


「どこから来た?」「ここで何してる?」の次は

「マダガスカルの女は好きか?」が定番だ(笑)。


「大好きだよ。マダガスカルの女性は美しいよ」

というと「おまえいいやつだなあ。気に入った!」

と男女ともみんな大笑い。


「じゃあ、おれがいいホテル教えてやる」

と地図を描き出す。男女とも大笑い。

この流れでいきなりホテル?とびっくりしたけど


自然に湧くものに良い悪いをつけず、

人間の自然な性質を肯定して楽しむ感じが

なんだかほっとして解放される感じで

 

この国をますます大好きになってしまいました 

 

村での原始生活

こうして慣らしをしながら

街から50キロ離れた村(自然保護の現場)に通った。

 

希少種ばかりで保護される森に住んでいる彼ら。

森林保護と住民生活を両立する道を探るために

村人の家族構成や生活ぶりを聴き取り調査するのが

 

僕の当面の仕事だった。


村では日中最高気温が47℃〜50℃にもなる。

彼らは帽子もかぶらず裸足でアスファルトを歩く。

僕は日中は意識が遠のいて起き上がれなかった。


夜になると立場は逆転する。

Tシャツ短パンでちょうどよく、

やっと動けるようになると、

村人たちは「寒い」と毛布にくるまり

焚き火にあたる。

 

「夜の帝王」になった気分だった(笑)



 希望通り一人で村人の中に混ざって過ごした。

「貧しい人たちは心が豊か」と言うけど、

彼らはどんな考え方をしているのか、

何を幸せに思うのか?という問いに従い、

どんどん村人の生の生活に入っていった。

 

 

おかげで、彼らの狩猟や薬草、木工、

頭で重量物を運ぶなどの技術の高さはもちろん、


夫への愚痴やら、

病気だけどお金がなかったり、

先祖降霊の儀式やら、

大統領選挙で票の買収が行われる現場やら

生々しい場面にも立ち会うことができた。


人はどうしたら幸せになるのか?

 自分を見つめ、生き方をデザインする

こうして、アメリカで過ごしたのち

マダガスカルで生の暮らしに触れて

感じたのは


幸せに方程式はない

自分が何を大事にしたいかを明確にして

自分で生き方をデザインするしかない

ということだった。


何かがありさえすれば幸せ、

というものでは実際なかった。


例えばどちらの国でも

お金持ちでも貧乏でも

高等教育を受けてもそうでなくても

子供がいてもいなくても

幸せそうな人、不幸そうな人両方いた。



「当たり前」はない

そして、自分が当たり前に思うものも

膨大な積み重ねを経て自分に

届けられてると実感した。


トイレも電気水道ガスもない村。

街に戻って身に沁みたのは、、、


洋式!水洗!トイレ!の個室!最高!

数日ぶりに入ったときの安堵感!

「ここに住みたい」と思っちゃった(笑)

 

金属製品はそうそう作れない!

なんて貴重で文明度高いんだ、鍋!!

お前がいないと料理すらできないよ


舗装道路!

ほとんど舗装されてなくて

20km以上出すと車が壊れるから

車を絶対運転させてくれない現地。

田舎の私道ですら舗装されてる日本

どんだけ金持ち?!

 

百年前は日本も同じような状況

だったんだよね、、、

むしろ今の先進国の状況が

歴史上例をみないんだよね、、、

当たり前なんかじゃない。

 


こうやって、一つ一つの物事を

見る目が変わっていった。

 

 


何が幸せか?何を選択したいか?

これは誰をどんな風に幸せにするのか?

 

暗黙の常識になってしまっていることでも

もう一度自分の感覚、自分の意思で

問をもって、意識的に選択するようになった。

 

今の仕事へのつながり

屋号に込められた想い

こうして、

何を大事にしたいのかを明確にして、

それに沿った人生をデザインしていくことで

人が心から幸せになることを仕事にしたいと

思うようになった。

だから今の屋号は「ライフデザインコーチ」

 

あれから16年以上経ち、、

価値観だけでなく、元々持つ隠れた才能を

発掘し活かす「才能コンサルティング」

として方法は洗練されていったが、

この体験が原点だったと思う。

 


これからやりたいこと

みんなが人生の主人公として

自分と、人と、自然につながり直せる場を、

自然の中で、仲間を見つけて創っていきたい。


社会に適応する中でつけてしまった

鎧や鎖を解き放ち、

本来の自分を自由に表現できる場。


自然の中のフィールドと仲間が欲しい。

「仕事のため、お金のため」じゃなく。

「私たちの魂の歓ぶ生き方」が仕事になっている。
そうやって心の声に従って

自由に幸せに生きられることを示す

一つの事例でありたい。

 


これから転機を迎える人に一言

転機が一回あったからといって、

全てクリアするわけじゃない。

みんな一つ、また一つ歩んでいくのは

同じだと思う。


何を大事にしたいか内観して

心に従って行動に移し、

誰かに打ち明けたりしているうちに、

思わぬところから糸口が見えて来ると思う。


ポイントは、自力は尽くしながら、

助けを求めること


ここまでの物語のように

僕は助けてもらうべき人を探し当てる

までにとても苦労したけど

その人を見つけて全力を尽くすと

それまでが嘘のようにどんどん進む。


もしも何か響くものがあったり、

経験者、専門家の助けがほしいというときは

プロとして真摯に支援させていただきます。

遠慮なくご連絡ください。


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